《当流紹介中の猫の妙術について:略説》(参考文献:「剣と禅」大森曹玄著 春秋社)
勝軒という剣術者の家に大鼠(ねずみ)が住みついて、昼間から暴れ回る。近所から猫を借りて
きたが、どの猫も歯が立たない。そこで、評判の猫を借りてきたが、たよりない格好だ。
しかし、あっけなく、鼠を捕まえてしまった。その晩、その古猫を上座に、猫族会議がひらかれた。最初に声を上げたのは、「鋭き黒猫」だ。「私は、早業に自信があったのに」
古猫「君の技は、小手先で、道や理に基づかない。」技巧派、腕自慢の弊を戒める。
次に、虎毛の大猫だ。「気合で圧倒しようとしたのですが」
古猫「浩然の気ではないからだ」 次に、灰毛の猫「こちらの和に応じません」
古猫「分別心からの和だからだ。しかし、君たちの修行は、無駄ではない。無心無為から流露するかだ。」古猫は、敵もなく我もなくという無物の理を説く。・・・・
山岡鉄舟先生(無刀流)は、自他流の伝書類は自由にみせたが、これだけは、珍重され、容易に見せなかったそうである。
古猫を実在の人物で言えば、男谷精一郎(直心影流)、白井亨(中西派一刀流)、辻月丹(無外流)、針ケ谷夕雲(無住心剣流)、小田切一雲(空鈍流)、上泉伊勢守秀綱(新陰流)など、勝ち、負けでは無い境地に達している。
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十牛図:(参考文献 「禅の本」学習研究社)
武術等の修行者が、牛(本来の自己)を探し求める旅を十枚の絵で表したもの。
一 尋牛(じんぎゅう); 修行の最初の段階・修行者が牛(本来の自分)を探しに出る
二 見跡(けんせき); 牛の足跡を見つけた。手がかりを得た。
三 見牛(けんぎゅう); 木の陰に隠れて頭部を出している牛を初めて見つけ出した。
少しだけ悟りの開けたところ(見性 けんしょう)
四 得牛(とくぎゅう); 牛(本来の自己)は、全部の姿を現している。牛に手綱を付け、
自分のものにしようとしている段階。
五 牧牛(ぼくぎゅう); 牛を連れて行く。悟後の修行
六 騎牛帰家(きぎゅうきか);牛にまたがって、楽しげに家に帰る。修行者は本来の自己と
一体となっている。
七 亡牛存人(ぼうぎゅうそんじん);家に帰って牛を忘れてくつろいでいる。悟ったという
意識を捨てる。
八 人牛俱忘(じんぎゅうぐぼう);牛も人もなく円ひとつ(「空」)
九 返本還源(へんぽんかんげん);万物が一体となった。水青く、山は緑、花は紅
十 入鄽垂手(にってんすいしゅ);日常生活の中で人々のために尽くす。
悟りとは禅の世界のみ通用するもの。 鄽=町の中